日本人の英会話下手は「英語力」ではない!原因は日本語文化に内在する「会話力」の不足
- Dr. K. Shibata
- 36 分前
- 読了時間: 4分
英語コミュニュケーションにおける日本語文化の盲点を探る。なぜ日本人にとって英語スピーキングは難しいのか?

英米文学の教授が,日本人の会話と会話意識を欧米人のそれと対比させて「会話」を愉しむための秘訣を伝授したエッセイ集「会話を楽しむ」を読みました。
会話を楽しむ/加島 祥造 著
この著書の中の第3章「私たちの会話意識」が、自分(そしておそらく多くの日本人)が、「英語を話す」ことについて感じていた長年のモヤモヤ感を解消してくれたように思えました。そこでこのエッセイの内容の紹介と「会話」に関する異文化間の差異について論じてみたいと思います。
日本人が英語を話すことは、同じく英語が第二言語でない欧州人に比べてずっと難しいことは周知の事実です。日本語にはフランス語やスペイン語のようにアルファベットもなければ、文法や発音も全く違うため、日本人が英語を習得するためには大変な時間と労力が必要です。しかし、このエッセイで著者が述べたいことは、それではなく、日本語に永らく内在してきた日本文化、特に明治維新以前に確立された日本語の「会話のあり方」が英語の会話での基本認識とあまりに乖離があるため、日本人が英語を話すことを困難にしているのだ、と主張しています。その原因は、ずばり日本語に内在する「権力勾配」です。
著者の加島祥造氏は、日本人の英会話下手は「英語力の不足」ではなく日本語の「会話力」の不足が原因だと指摘しています。それは、例えば、敬語に代表される日本語文化における人間の対等感と、人同士が上下・優劣の関係しない立場で対話する「心を開く」意識が近代まで欠如していたことが日本人の英語での会話を難しくさせてきた理由だというのです。先に挙げた日本語の権力勾配の中には、身分制と地域性による心理的束縛があり、これらが日本語による自由でオープンな会話の妨げになってきた、というのが著者の見解です。
著者は、さらに多くの日本人が英会話を習うのは、それが生活や仕事に必要であるという以上に、英語で話すことにより、日本語に内在する社会的束縛から自由になりたい、という意識が根底にあるのでは、と論じています。実際、多くの日本人は英語で話す時に、自分が別の人格になった、と感じる人は少なくないと思います。そして、日本語の権力勾配の中には、「話す」ことだけでなく、「沈黙」も含まれると言います。「余計なことは話すな」と多くの日本人は躾けられてきていますし、「雄弁な人は信用できない」という感覚は日本人の間でいまだ共有されている、と言ってもいいでしょう。ちなみに、英語・欧州語圏では「雄弁さ」はエリートにとって、不可欠な能力のひとつです。
これらの要素が、日本人が「英語を話す」こと、そして特に「自分の意見」を堂々と主張することに抵抗を感じる主な理由であるとも言えます。事実、英語スピーキングのワークショップを主宰していますが、予め話すことが決まっている英会話(例、旅行での買い物など)は出来ても、「シナリオが無い英会話」ましてや、「英語で主張」することには、禁忌を超えて、恐怖すら感じている人も少なくない、という印象を私は持っています。しかし、実際の生活の中で、シナリオどうりに会話が進むことは殆んどありません。「本当に英会話ができる」ようになるには、まず最初に「英語力」ではなく、「日本語そして日本文化の檻」の外に出る勇気が必要なのだと思いました。
なお、現在放映中のNHK朝の連続テレビ小説「ばかばけ」で主人公のひとり、アイルランド人のヘブン先生(ラフかディオ・ハーンがモデル)は日本語を習っている最中です。しかし、彼が日本語を話す時には、日本人が英語を話す時に感じるような文化的、心理的な葛藤は少なかったように推察します。そして、主人公のトキは、英語はそれほど理解できていなかったとしても、英語が流ちょうな「大磐石」の錦織さんと同じように「日本文化」の檻の外にたやすく踏み出すことのできる自由な精神と好奇心の持ち主だったはずです。だからこそ、トキと錦織さんはヘブン先生の片腕となり、劇中で、彼が傑作「怪談」を生み出すことに大きく貢献できたのでしょう。
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